五剣山と八栗寺(香川県・高松市)
2月19日 午前中は、結構長い時間雪が降り続いた。
午後、「五剣山」に珍しく雪がかぶっているのが見られたので、山の中腹にある
四国霊場八十五番札所「八栗寺」へ登った。
「本坊」から「五剣山」を見上げた。

「五剣山」の第4峰(西側から見て)。

「多宝塔」

大きなお地蔵さんの頭にも雪が残っていた。

屋根の細工が立派な「聖天堂」。
弘法大師作の「歓喜天」が祀られているという。

八栗寺境内から見上げた「五剣山」。
岩がもろく落石が多いので、山頂へはずいぶん前から登山禁止になっている。
右手奥に「本堂」がある。

険しい岩場の雪模様。


本堂の左側に立っている「十一面観音像」。

少し山を降りてきて「五剣山」をもう一度振り返ってみた。

午後、「五剣山」に珍しく雪がかぶっているのが見られたので、山の中腹にある
四国霊場八十五番札所「八栗寺」へ登った。
「本坊」から「五剣山」を見上げた。

「五剣山」の第4峰(西側から見て)。

「多宝塔」

大きなお地蔵さんの頭にも雪が残っていた。

屋根の細工が立派な「聖天堂」。
弘法大師作の「歓喜天」が祀られているという。

八栗寺境内から見上げた「五剣山」。
岩がもろく落石が多いので、山頂へはずいぶん前から登山禁止になっている。
右手奥に「本堂」がある。

険しい岩場の雪模様。


本堂の左側に立っている「十一面観音像」。

少し山を降りてきて「五剣山」をもう一度振り返ってみた。

寂光院(京都大原)
2月9日 「寂光院」を訪れたのは、1981年の10月以来で32年ぶりだった。
このお寺も昨年秋に訪れた東山の「長楽寺」と同じように、平清盛の娘「建礼門院徳子」の
ゆかりの地だ。
気温が低かったので、昨日降った雪がまだまだ残っていた。

「山門」。奥に「本堂」が見えた。

2005年に再建された「本堂」。元の本堂は、2000年に放火により焼失してしまった。
本尊は、高さ256センチもある「地蔵菩薩立像」。元の菩薩像は、火災の際に黒焦げになったが、
像内納入品は奇跡的に無事だったという。
右手前にあるのが「雪見燈籠」。

「汀(みぎわ)の池」に「書院」の屋根が映っていた。

サツキの植え込みの上に、やわらかい雪の帽子をかぶっていた。

本堂の東側にある「四方正面の池」。
本堂や書院など、どこから見ても正面のように造られているという。

奥のほうに小さな三段の滝がある。

火災に遭う前は、樹齢が数百年あったとされる「千年姫小松」。
現在は、神木として祀られている。

スギゴケに椿の花が一輪。

山門の東側に建つ「孤雲」と名づけらている茶室。

「宝物殿」を見学した後、石段を下りて帰途についた。

お寺の前の掘割。
土曜日だったが、観光客は比較的少なかった。

晴れていたが、気温は2度ほどで底冷えがした。
帰りに大原の「里の駅」で産直の散らし寿司や漬物などを買った。
このお寺も昨年秋に訪れた東山の「長楽寺」と同じように、平清盛の娘「建礼門院徳子」の
ゆかりの地だ。
気温が低かったので、昨日降った雪がまだまだ残っていた。

「山門」。奥に「本堂」が見えた。

2005年に再建された「本堂」。元の本堂は、2000年に放火により焼失してしまった。
本尊は、高さ256センチもある「地蔵菩薩立像」。元の菩薩像は、火災の際に黒焦げになったが、
像内納入品は奇跡的に無事だったという。
右手前にあるのが「雪見燈籠」。

「汀(みぎわ)の池」に「書院」の屋根が映っていた。

サツキの植え込みの上に、やわらかい雪の帽子をかぶっていた。

本堂の東側にある「四方正面の池」。
本堂や書院など、どこから見ても正面のように造られているという。

奥のほうに小さな三段の滝がある。

火災に遭う前は、樹齢が数百年あったとされる「千年姫小松」。
現在は、神木として祀られている。

スギゴケに椿の花が一輪。

山門の東側に建つ「孤雲」と名づけらている茶室。

「宝物殿」を見学した後、石段を下りて帰途についた。

お寺の前の掘割。
土曜日だったが、観光客は比較的少なかった。

晴れていたが、気温は2度ほどで底冷えがした。
帰りに大原の「里の駅」で産直の散らし寿司や漬物などを買った。
五個荘の雛人形(Ⅲ)
2月8日 近江商人屋敷の最後は、中江準五郎邸を訪れた。
この屋敷には、地元の人形師「東之湖(とうこ)」さんの平成の雛人形が飾ってあった。
中央に琵琶湖を配し、その周りに8年間かかって作った雛人形が飾ってあった。
「清湖雛」と名づけられている。

立ち姿の「内裏雛」。

湖の周りの桜をイメージした「十人囃人」。

白無垢の十二単を着た「無垢の神」。

雪をかぶった比良連峰をイメージした「比良暮雪」。

こちらは、東日本大震災の被災地へ贈る「絆雛」。

内蔵には、各地の「郷土雛」が飾ってあった。

庭の向こう側に、今見学した内蔵が見えた。

真ん中に大きな池がある「池泉回遊式」の庭園。
ここは、戦前に朝鮮半島や中国で三中井百貨店を経営した中江4兄弟の末弟・準五郎の本宅で、
池の周りには大きな石燈籠がいくつもあった。

雪をかぶった「つくばい」。

三軒の近江商人屋敷が、それぞれ特徴のある雛人形の展示がしてあり、大変楽しむことができた。
この屋敷には、地元の人形師「東之湖(とうこ)」さんの平成の雛人形が飾ってあった。
中央に琵琶湖を配し、その周りに8年間かかって作った雛人形が飾ってあった。
「清湖雛」と名づけられている。

立ち姿の「内裏雛」。

湖の周りの桜をイメージした「十人囃人」。

白無垢の十二単を着た「無垢の神」。

雪をかぶった比良連峰をイメージした「比良暮雪」。

こちらは、東日本大震災の被災地へ贈る「絆雛」。

内蔵には、各地の「郷土雛」が飾ってあった。

庭の向こう側に、今見学した内蔵が見えた。

真ん中に大きな池がある「池泉回遊式」の庭園。
ここは、戦前に朝鮮半島や中国で三中井百貨店を経営した中江4兄弟の末弟・準五郎の本宅で、
池の周りには大きな石燈籠がいくつもあった。

雪をかぶった「つくばい」。

三軒の近江商人屋敷が、それぞれ特徴のある雛人形の展示がしてあり、大変楽しむことができた。
五個荘の雛人形(Ⅰ)(滋賀県・東近江市)
2月8日 百済寺をあとにして、道の駅「あいとうマーガレットステーション」で
昼食を摂った。そして、近江商人の屋敷が建ち並んでいる「五個荘」へと向かった。
昨年の秋にも来たが、その時は入らなかった金堂(こんどう)地区の三軒の屋敷を廻った。
この時期は、ちょうど雛人形が飾られていて華やかな感じだった。
まずは、「外村(とのむら)繁邸」へ入っていった。
「親王飾り」の雛人形。

繁の姉「と志」の健やかな成長を願って揃えられたという。

市松人形が、前列に飾ってあった。

繁の母「みわ」さんの豪華な晴れ着。

お庭の古井戸。
路の雪はほとんど融けていたが、庭にはかなり残っていた。

四角い手水鉢。

障子越しの雪景色は美しかった。
しかし、火の気のない室内は手足が凍りそうだった。

左側は、「源氏枠飾り」といって御殿の枠をはずして雛人形の姿を見やすくしたもの、
右側は、大正時代に作られた「紙びな」。

二階にも、たくさんの雛人形が飾られていた。

二階の床の間の飾り。

二階からお庭を見下ろした。

内蔵は、「外村繁文学館」になっていた。
外村繁は、昭和10年「草筏」が芥川賞候補、昭和13年池谷賞を受賞、昭和31年「筏」が
野間文学賞を受賞した滋賀を代表する作家だ。

昼食を摂った。そして、近江商人の屋敷が建ち並んでいる「五個荘」へと向かった。
昨年の秋にも来たが、その時は入らなかった金堂(こんどう)地区の三軒の屋敷を廻った。
この時期は、ちょうど雛人形が飾られていて華やかな感じだった。
まずは、「外村(とのむら)繁邸」へ入っていった。
「親王飾り」の雛人形。

繁の姉「と志」の健やかな成長を願って揃えられたという。

市松人形が、前列に飾ってあった。

繁の母「みわ」さんの豪華な晴れ着。

お庭の古井戸。
路の雪はほとんど融けていたが、庭にはかなり残っていた。

四角い手水鉢。

障子越しの雪景色は美しかった。
しかし、火の気のない室内は手足が凍りそうだった。

左側は、「源氏枠飾り」といって御殿の枠をはずして雛人形の姿を見やすくしたもの、
右側は、大正時代に作られた「紙びな」。

二階にも、たくさんの雛人形が飾られていた。

二階の床の間の飾り。

二階からお庭を見下ろした。

内蔵は、「外村繁文学館」になっていた。
外村繁は、昭和10年「草筏」が芥川賞候補、昭和13年池谷賞を受賞、昭和31年「筏」が
野間文学賞を受賞した滋賀を代表する作家だ。

百済寺(滋賀県・東近江市)
2月8日 琵琶湖の湖北で白鳥を撮影する予定だったが、今朝から降りだした雪がかなり
積もっているようなので諦めて、八日市インターで下りて湖東三山の一つ
「百済寺(ひゃくさいじ)」へ向かった。
お寺の手前で少し道に迷ったら、石仏がきれいに並んだ場所に出た。

以前このお寺に来たのは、2008年の秋だった。
この地でも、今朝は今年初めての積雪だったようだ。
まず、庭園へ入っていった。

秋とはまったく違って、水墨画の世界だった。

観光客は一人もおらず、静寂そのものだった。

時折、強く雪が降っていた。

この庭は、池泉回遊式で且つ立体的に鑑賞できる。
階段を登っていくと、小さな滝を見つけた。

大きな杉の木に、真新しいしめ縄がかかっていた。

庭園内で一番高い所からの眺め。

ナンテンの赤い実が、冷たそうだった。

もう一度、池を眺めた。

庭園を鑑賞した後、本堂へ向かった。
「弥勒菩薩」の石像も寒そうだった。

本堂への長い参道。
このお寺は、聖徳太子の御願によって百済人のために創建された古刹で1400年の
歴史があるという。

「仁王門」が見えてきた。

大きなわらじが架かった「仁王門」。

まもなく杉木立の向こうに「本堂」が見えてきた。

余韻が美しかった「梵鐘」。

「本堂」と、樹齢千年と言われている「千年菩提樹」。
「本堂」の扉は開いていたが、なぜか周りの雪には足跡がまったく残っていなかった。
ここは海抜が350メートルもあるというから、麓に比べて雪がかなり深かった。

帰りは、なだらかな北側の参道を降りて行った。
この寒さの中でも、「本坊」脇の梅の花のつぼみは、少し膨らんできているようだった。

雪をかぶった「寒ツバキ?」。

駐車場で見かけた、冬に咲く小さな桜の花。
ここの桜は、なぜか「出世桜」と呼ばれているようだ。

積もっているようなので諦めて、八日市インターで下りて湖東三山の一つ
「百済寺(ひゃくさいじ)」へ向かった。
お寺の手前で少し道に迷ったら、石仏がきれいに並んだ場所に出た。

以前このお寺に来たのは、2008年の秋だった。
この地でも、今朝は今年初めての積雪だったようだ。
まず、庭園へ入っていった。

秋とはまったく違って、水墨画の世界だった。

観光客は一人もおらず、静寂そのものだった。

時折、強く雪が降っていた。

この庭は、池泉回遊式で且つ立体的に鑑賞できる。
階段を登っていくと、小さな滝を見つけた。

大きな杉の木に、真新しいしめ縄がかかっていた。

庭園内で一番高い所からの眺め。

ナンテンの赤い実が、冷たそうだった。

もう一度、池を眺めた。

庭園を鑑賞した後、本堂へ向かった。
「弥勒菩薩」の石像も寒そうだった。

本堂への長い参道。
このお寺は、聖徳太子の御願によって百済人のために創建された古刹で1400年の
歴史があるという。

「仁王門」が見えてきた。

大きなわらじが架かった「仁王門」。

まもなく杉木立の向こうに「本堂」が見えてきた。

余韻が美しかった「梵鐘」。

「本堂」と、樹齢千年と言われている「千年菩提樹」。
「本堂」の扉は開いていたが、なぜか周りの雪には足跡がまったく残っていなかった。
ここは海抜が350メートルもあるというから、麓に比べて雪がかなり深かった。

帰りは、なだらかな北側の参道を降りて行った。
この寒さの中でも、「本坊」脇の梅の花のつぼみは、少し膨らんできているようだった。

雪をかぶった「寒ツバキ?」。

駐車場で見かけた、冬に咲く小さな桜の花。
ここの桜は、なぜか「出世桜」と呼ばれているようだ。

| ホーム |