高松祭り花火大会(香川県)
8月13日 今回初めて高松港の間近で花火大会を鑑賞した。
6時前に現地に着いて、打ち上げ場所の近くに撮影場所を決めた。
6時42分頃、夕日が雲の中へ沈んでいった。

徐々に観客が増えてきて、座る場所が少なくなってきた。
左に見えているのが花火を打ち上げる筏。そして、右奥に女木島が浮かんでいる。

花火の始まる8時前に気がついたが、赤灯台のある堤防が意外と空いていたので、
急遽そちらへ移動した。暑い中長い間待っていたのは、なんだったんだろう?
今年のテーマは、「花火で描く瀬戸内の季節」。
4部に構成して打ち上げられた。

また、今開催中の「瀬戸内国際芸術祭2013」にちなんだ物も多かった。

昨年までの朝日新町F地区から、サンポート高松沖へ打ち上げ場所が変わり、
より近くで花火を見ることができるようになった。



カメラを左右に揺らしてみた。

最も華やかだった一発。

大きなのは、10号玉。



フィナーレ近くの大きな「しだれ花火」。
6000発にも及ぶ花火大会が終わった。

花火が終わった後、沖で見学していた観光船が動き出した。

「赤灯台」を進む観光船の光跡。

夜の高松港。

高松城(玉藻城)の北側の道は、花火の見物帰りの車で渋滞していた。

6時前に現地に着いて、打ち上げ場所の近くに撮影場所を決めた。
6時42分頃、夕日が雲の中へ沈んでいった。

徐々に観客が増えてきて、座る場所が少なくなってきた。
左に見えているのが花火を打ち上げる筏。そして、右奥に女木島が浮かんでいる。

花火の始まる8時前に気がついたが、赤灯台のある堤防が意外と空いていたので、
急遽そちらへ移動した。暑い中長い間待っていたのは、なんだったんだろう?
今年のテーマは、「花火で描く瀬戸内の季節」。
4部に構成して打ち上げられた。

また、今開催中の「瀬戸内国際芸術祭2013」にちなんだ物も多かった。

昨年までの朝日新町F地区から、サンポート高松沖へ打ち上げ場所が変わり、
より近くで花火を見ることができるようになった。



カメラを左右に揺らしてみた。

最も華やかだった一発。

大きなのは、10号玉。



フィナーレ近くの大きな「しだれ花火」。
6000発にも及ぶ花火大会が終わった。

花火が終わった後、沖で見学していた観光船が動き出した。

「赤灯台」を進む観光船の光跡。

夜の高松港。

高松城(玉藻城)の北側の道は、花火の見物帰りの車で渋滞していた。

上高地の朝(長野県)
8月9日 朝起きて朝食前に「河童橋」あたりを散策した。
6時半ごろだったので、「河童橋」にはまだ観光客はまばらだった。

「河童橋」から穂高連峰を眺めた。
稜線は雲がかかっていてはっきりとは見えなかった。

「梓川」の支流の「清水川」が勢いよく流れていた。。

川岸に咲いていた黄色の花は、キク科の「カイタカラコウ」か?

朝食後、もう一度付近を散策した。
「清水川」に陽が差してキラキラと輝いていた。

ビジターセンターで見学している間に、稜線の雲が取れてきた。
「河童橋」からの「焼岳」の眺め。

穂高連峰の稜線もはっきり見えるようになってきた。

「梓川」も川底まで透き通って見えてきた。

「河童橋」の上は観光客や登山者で賑わってきた。

絵葉書にあるようなアングル。
「西穂高岳」から「奥穂高岳」そして「明神岳」までの稜線が、はっきり見渡すことができた。

一昨日に登った「西穂独標」も稜線の左端に確認できた。

いつまでも眺めていたい景色だったが、バスの時間が近づいてきたので
バスターミナルへ向かった。
最後に「河童橋」の方を振り返った。背後には、「明神岳」が堂々とそびえていた。

バスターミナルでは、10時半発の平湯温泉行きのシャトルバスにちょうど間に合った。
「平湯温泉」からバスを乗り換えて、車を置いている「新穂高温泉」まで戻っていった。
6時半ごろだったので、「河童橋」にはまだ観光客はまばらだった。

「河童橋」から穂高連峰を眺めた。
稜線は雲がかかっていてはっきりとは見えなかった。

「梓川」の支流の「清水川」が勢いよく流れていた。。

川岸に咲いていた黄色の花は、キク科の「カイタカラコウ」か?

朝食後、もう一度付近を散策した。
「清水川」に陽が差してキラキラと輝いていた。

ビジターセンターで見学している間に、稜線の雲が取れてきた。
「河童橋」からの「焼岳」の眺め。

穂高連峰の稜線もはっきり見えるようになってきた。

「梓川」も川底まで透き通って見えてきた。

「河童橋」の上は観光客や登山者で賑わってきた。

絵葉書にあるようなアングル。
「西穂高岳」から「奥穂高岳」そして「明神岳」までの稜線が、はっきり見渡すことができた。

一昨日に登った「西穂独標」も稜線の左端に確認できた。

いつまでも眺めていたい景色だったが、バスの時間が近づいてきたので
バスターミナルへ向かった。
最後に「河童橋」の方を振り返った。背後には、「明神岳」が堂々とそびえていた。

バスターミナルでは、10時半発の平湯温泉行きのシャトルバスにちょうど間に合った。
「平湯温泉」からバスを乗り換えて、車を置いている「新穂高温泉」まで戻っていった。
西穂山荘~焼山小屋~上高地(長野県)
8月8日 今日は、「西穂山荘」を出発して「焼山小屋」を経由して上高地へ降りる。
8時前に山荘を出発した後は、しばらく薄暗い森を下っていった。
直接上高地へ下山できる分岐点で、単独行のおじさんと出会った。なんと10年間で
百名山のうちの96座を登ったという。
「ギンレイソウ」。葉緑素がなく真っ白な花だ。

登山道は、2,3日前の雨で大変ぬかるんでいた。
2時間ぐらいかかってようやく視界のきく「槍見台」に着いた。
「槍ヶ岳」は見えなかったが、「西穂高岳」から「前穂高岳」そして「明神岳」まで
見渡すことができた。

眼下には、今晩泊まる宿のある「上高地」が見えた。

「槍見台」から坂道を降りて行くと鏡のような池が見えてきた。

この焼岳小屋までのルートでは、他の登山者と5人ほどしか出会わなかった。
縦走路は、ぬかるんでいて歩きにくかったが、潅木が強烈な日差しを遮ってくれたのは
幸いだった。
赤やオレンジ色の実をつけた「タケシマラン」。

12時過ぎにようやく「焼岳小屋」に着くことができた。
昼食を摂って、約15分で行ける焼岳展望台へ登っていった。
近くで見た荒々しい「焼岳」は、たいへん迫力があった。山頂までは往復2時間ほどかかるので
今回は諦めることにした。

展望台の周辺は、黄色の花で敷き詰められていた。

黄色の花は、「イワオトギリ」。

眼下には、大正時代にこの「焼岳」の噴火で梓川が堰き止められて作られた
「大正池」が深い緑色に観えた。
その背景は、右「霞沢岳」と左「六百山」の山々だ。

焼岳小屋へ戻る途中、展望台に登るときに出会った10人ほどのグループが、
上高地へ下山していくのが小さく見えた。

この下はかなり急な坂道が続きそうだ。

「焼岳」のほうを見上げると、噴火で作られた裂け目が上高地の方に流れているのが
良く分かった。「焼岳(2455M)」は、北アルプス唯一の活火山で時々噴煙を上げている。

激しい噴火の後を見せる斜面。

垂直の岩壁にも黄色い高山植物が咲いていた。

上高地への下りで最大の難所。
アルミ製の梯子をつないだもの。

焼岳小屋から3時間ほどかかって「上高地」の登山口まで降りてきた。
次の日に聞いたが、このあたりで今朝「ツキノワグマ」を見かけたらしい。
「梓川」の川岸に咲いていた「ヤナギラン」。

「梓川」の向こう側にそびえるのは、右「霞沢岳」と左「六百山」。

キキョウ科の「ソバナ」か「シャジン」。

白い「ミヤマオダマキ」。

「梓川」に沿って高山植物を愛でながら、今晩泊まる「西糸屋」へ5時ごろ着いた。
8時前に山荘を出発した後は、しばらく薄暗い森を下っていった。
直接上高地へ下山できる分岐点で、単独行のおじさんと出会った。なんと10年間で
百名山のうちの96座を登ったという。
「ギンレイソウ」。葉緑素がなく真っ白な花だ。

登山道は、2,3日前の雨で大変ぬかるんでいた。
2時間ぐらいかかってようやく視界のきく「槍見台」に着いた。
「槍ヶ岳」は見えなかったが、「西穂高岳」から「前穂高岳」そして「明神岳」まで
見渡すことができた。

眼下には、今晩泊まる宿のある「上高地」が見えた。

「槍見台」から坂道を降りて行くと鏡のような池が見えてきた。

この焼岳小屋までのルートでは、他の登山者と5人ほどしか出会わなかった。
縦走路は、ぬかるんでいて歩きにくかったが、潅木が強烈な日差しを遮ってくれたのは
幸いだった。
赤やオレンジ色の実をつけた「タケシマラン」。

12時過ぎにようやく「焼岳小屋」に着くことができた。
昼食を摂って、約15分で行ける焼岳展望台へ登っていった。
近くで見た荒々しい「焼岳」は、たいへん迫力があった。山頂までは往復2時間ほどかかるので
今回は諦めることにした。

展望台の周辺は、黄色の花で敷き詰められていた。

黄色の花は、「イワオトギリ」。

眼下には、大正時代にこの「焼岳」の噴火で梓川が堰き止められて作られた
「大正池」が深い緑色に観えた。
その背景は、右「霞沢岳」と左「六百山」の山々だ。

焼岳小屋へ戻る途中、展望台に登るときに出会った10人ほどのグループが、
上高地へ下山していくのが小さく見えた。

この下はかなり急な坂道が続きそうだ。

「焼岳」のほうを見上げると、噴火で作られた裂け目が上高地の方に流れているのが
良く分かった。「焼岳(2455M)」は、北アルプス唯一の活火山で時々噴煙を上げている。

激しい噴火の後を見せる斜面。

垂直の岩壁にも黄色い高山植物が咲いていた。

上高地への下りで最大の難所。
アルミ製の梯子をつないだもの。

焼岳小屋から3時間ほどかかって「上高地」の登山口まで降りてきた。
次の日に聞いたが、このあたりで今朝「ツキノワグマ」を見かけたらしい。
「梓川」の川岸に咲いていた「ヤナギラン」。

「梓川」の向こう側にそびえるのは、右「霞沢岳」と左「六百山」。

キキョウ科の「ソバナ」か「シャジン」。

白い「ミヤマオダマキ」。

「梓川」に沿って高山植物を愛でながら、今晩泊まる「西糸屋」へ5時ごろ着いた。
御来光(西穂・丸山)
8月8日 4時ごろ起きて、西穂山荘から約15分ほど登った「丸山」で御来光を待った。
4時50分頃。左側の「前穂高岳」と右側「明神岳」のシルエット。
目立った雲はかからなかった。

「西穂高岳」や「独標」方面の眺め。

小さな雲が黄金色に輝いた。

南側の「焼岳」には、すでに陽があたってきた。
なかなか朝日が出てこないので身体が冷えてきた。気温は10度ぐらいか。
一緒に眺めていた二人の山ガールたちは、ダンスをして暖をとっていた。

5時40分ごろ、ようやく御来光を拝むことができた。
一瞬、ダイヤモンドのように太陽が輝いた。

日の出直後の「焼岳」。
今日は、「焼岳小屋」を経由して「上高地」へ下山する予定だ。

西側の左「笠ヶ岳」と右「抜戸岳」。

今日も一日天気は良さそうだ。
4時50分頃。左側の「前穂高岳」と右側「明神岳」のシルエット。
目立った雲はかからなかった。

「西穂高岳」や「独標」方面の眺め。

小さな雲が黄金色に輝いた。

南側の「焼岳」には、すでに陽があたってきた。
なかなか朝日が出てこないので身体が冷えてきた。気温は10度ぐらいか。
一緒に眺めていた二人の山ガールたちは、ダンスをして暖をとっていた。

5時40分ごろ、ようやく御来光を拝むことができた。
一瞬、ダイヤモンドのように太陽が輝いた。

日の出直後の「焼岳」。
今日は、「焼岳小屋」を経由して「上高地」へ下山する予定だ。

西側の左「笠ヶ岳」と右「抜戸岳」。

今日も一日天気は良さそうだ。
西穂独標(岐阜県・長野県)
8月7日 ようやく夏らしい安定した天気になった。
8時前に新穂高温泉の宿を出発した。
新穂高温泉からロープウェイに7分間乗れば、2156M地点まで一気に上がれる。
登山口から30分ほど登って振り返ると「笠ヶ岳(2898M)」の姿がはっきりと
見えてきた。

2時間足らずで西穂山荘に着いた。
宿泊の受付を済ませて、食堂で昼の弁当を食べた。
ここでも窓からは、堂々とした「笠ヶ岳」が正面に眺められた。

少し休んだ後、「西穂独標」へ向けて出発した。
昼ごろには、早くもガスが出てきた。

しかし、右手の眼下の「上高地」には、ガスがかかっていなかった。

岩場に咲く「イワギキョウ」。

「西穂独標(2701M)」へ最後の厳しい登り。
「独標」とは「独立標高点」の略だが、この「西穂独標」が最も有名なようだ。

山頂から東側の谷にうす陽が差した。
昨年の秋に訪れた「岳沢(だけざわ)」が真下に見えた。

「西穂高岳」方面から登ってくる登山者。
「独標」から先は、かなり足場が悪そうだ。

一瞬ガスが少し薄くなって、「ピラミットピーク」と「西穂高岳」の姿が見えた。

山頂で30分ほど待ったが、ガスが晴れてくる気配がなかった。
風も結構出てきて体が冷えてきたので、山荘の方へ戻っていった。
岩場の下の斜面には、お花畑が広がっていた。

下山するにしたがって、ガスが少し晴れてきた。
「ピラミットピーク」と「独標」も姿を現してきた。

ここだけで見かけた「トウヤクリンドウ」。

南側はすっかり晴れてきて、遠くに「乗鞍岳」までも眺めることができた。

その左手前を眺めれば、右側「霞沢岳」と「六百山」が並んでいた。

山荘から約15分のところにある「丸山」からは、左側「前穂高岳」と「明神岳」の荒々しい
稜線も見えてきた。

「丸山」に立っていたケルン。

「丸山」から「独標」までの斜面に陽が差してきた。

「西穂山荘」の上部まで帰ってきた。
今日は、キャンプ場のテントもほぼ満員だった。

キャンプ場の周辺には、高山植物がたくさん咲いていた。
四国で見るものよりかなり大きな「ハクサンフウロ」の花。

夕食の後外へ出ると、ガスの合間から夕日を見ることができた。

日没後20~30分ぐらい待っていたが、あまり空は染まらなかった。

7時から食堂で、気象予報士のオーナーから山の気象の話などがあった。
8時前に新穂高温泉の宿を出発した。
新穂高温泉からロープウェイに7分間乗れば、2156M地点まで一気に上がれる。
登山口から30分ほど登って振り返ると「笠ヶ岳(2898M)」の姿がはっきりと
見えてきた。

2時間足らずで西穂山荘に着いた。
宿泊の受付を済ませて、食堂で昼の弁当を食べた。
ここでも窓からは、堂々とした「笠ヶ岳」が正面に眺められた。

少し休んだ後、「西穂独標」へ向けて出発した。
昼ごろには、早くもガスが出てきた。

しかし、右手の眼下の「上高地」には、ガスがかかっていなかった。

岩場に咲く「イワギキョウ」。

「西穂独標(2701M)」へ最後の厳しい登り。
「独標」とは「独立標高点」の略だが、この「西穂独標」が最も有名なようだ。

山頂から東側の谷にうす陽が差した。
昨年の秋に訪れた「岳沢(だけざわ)」が真下に見えた。

「西穂高岳」方面から登ってくる登山者。
「独標」から先は、かなり足場が悪そうだ。

一瞬ガスが少し薄くなって、「ピラミットピーク」と「西穂高岳」の姿が見えた。

山頂で30分ほど待ったが、ガスが晴れてくる気配がなかった。
風も結構出てきて体が冷えてきたので、山荘の方へ戻っていった。
岩場の下の斜面には、お花畑が広がっていた。

下山するにしたがって、ガスが少し晴れてきた。
「ピラミットピーク」と「独標」も姿を現してきた。

ここだけで見かけた「トウヤクリンドウ」。

南側はすっかり晴れてきて、遠くに「乗鞍岳」までも眺めることができた。

その左手前を眺めれば、右側「霞沢岳」と「六百山」が並んでいた。

山荘から約15分のところにある「丸山」からは、左側「前穂高岳」と「明神岳」の荒々しい
稜線も見えてきた。

「丸山」に立っていたケルン。

「丸山」から「独標」までの斜面に陽が差してきた。

「西穂山荘」の上部まで帰ってきた。
今日は、キャンプ場のテントもほぼ満員だった。

キャンプ場の周辺には、高山植物がたくさん咲いていた。
四国で見るものよりかなり大きな「ハクサンフウロ」の花。

夕食の後外へ出ると、ガスの合間から夕日を見ることができた。

日没後20~30分ぐらい待っていたが、あまり空は染まらなかった。

7時から食堂で、気象予報士のオーナーから山の気象の話などがあった。
郡上八幡(岐阜県・郡上市)
8月6日 北アルプスの西穂高へ登山する前に、岐阜県の「郡上八幡」の町を観光をした。
「郡上八幡旧庁舎記念館」で、レンタサイクルを借りて町内を観て廻った。

庁舎の横には、長良川の支流の「吉田川」が流れていた。
朝にはかなりの雨が降ったようだ。濁った水が勢い良く流れていた。

「宗祇水(そうぎすい)」への入り口。
水のまち郡上八幡のシンボル。

石畳の坂道を降りて行くと、その湧水があった。
室町時代、郡上領主の東常縁(とうつねより)と、彼から古今伝授を受けた
連歌師飯尾宗祇のゆかりの場所として伝わっている。

「日本名水百選」の第1号に指定されたことで有名になった湧水。
洗い場が、洗うものによって幾段にも分かれている。

「職人町」あたりの大正時代の古い町並み。

日蓮宗「大乗寺」の山門。

「本堂」の前には、真っ赤な百日紅の花が咲いていた。

この町にはたくさんの寺院がある。
真宗大谷派「長敬寺」。住職から、この町の歴史などを教わった。
本堂では、「千手観音菩薩」を拝観させてもらった

山門から観た町並み。
延焼を防ぐ「袖壁」と「紅柄格子」が特徴だ。
軒下には、消火用のバケツも吊らされている。

お寺の前を流れている「用水路」。

こちらは「柳町」の古い町並み。

八幡城三の丸にある、真宗大谷派「安養寺」。

そのお寺の下にも趣のある湧水があった。

強い日差しの下、いよいよ「郡上八幡城」への坂道を登っていった。
中腹の広場に建つ「山内一豊と千代」の像。
千代姫は、ここ郡上八幡の初代殿様の娘だと伝えられているそうだ。

4層5階建ての立派な天守閣が、近くに見えてきた。

木造の再建した城としては、最古の物らしい。
今年でちょうど築後80周年になる。

自転車を押しての登りは、かなり辛かった。
荒々しい野面積(のずらづみ)の石垣は、戦国時代のまま。

美しい石垣と白壁。

青空を背景にして、「隅櫓」と「天守閣」の白壁が輝いて見えた。

本丸の真下から見上げた。

天守閣からの眺め。家々がかなり密集している。
町の真ん中に「吉田川」が流れている。

こちらは「吉田川」の右岸の古い町並みがあった一角。
左手前に「安養寺」の本堂の大きな屋根が見えた。
右奥には先ほど訪れた「長敬寺」などの寺も見てとれた。

また、この町は「郡上おどり」が有名だ。なんと、毎日開催場所を変えて32夜に渡って
盆踊りが開催されているという。
特に8月13日から16日の4日間は、徹夜で踊るらしい。
「郡上八幡旧庁舎記念館」で、レンタサイクルを借りて町内を観て廻った。

庁舎の横には、長良川の支流の「吉田川」が流れていた。
朝にはかなりの雨が降ったようだ。濁った水が勢い良く流れていた。

「宗祇水(そうぎすい)」への入り口。
水のまち郡上八幡のシンボル。

石畳の坂道を降りて行くと、その湧水があった。
室町時代、郡上領主の東常縁(とうつねより)と、彼から古今伝授を受けた
連歌師飯尾宗祇のゆかりの場所として伝わっている。

「日本名水百選」の第1号に指定されたことで有名になった湧水。
洗い場が、洗うものによって幾段にも分かれている。

「職人町」あたりの大正時代の古い町並み。

日蓮宗「大乗寺」の山門。

「本堂」の前には、真っ赤な百日紅の花が咲いていた。

この町にはたくさんの寺院がある。
真宗大谷派「長敬寺」。住職から、この町の歴史などを教わった。
本堂では、「千手観音菩薩」を拝観させてもらった

山門から観た町並み。
延焼を防ぐ「袖壁」と「紅柄格子」が特徴だ。
軒下には、消火用のバケツも吊らされている。

お寺の前を流れている「用水路」。

こちらは「柳町」の古い町並み。

八幡城三の丸にある、真宗大谷派「安養寺」。

そのお寺の下にも趣のある湧水があった。

強い日差しの下、いよいよ「郡上八幡城」への坂道を登っていった。
中腹の広場に建つ「山内一豊と千代」の像。
千代姫は、ここ郡上八幡の初代殿様の娘だと伝えられているそうだ。

4層5階建ての立派な天守閣が、近くに見えてきた。

木造の再建した城としては、最古の物らしい。
今年でちょうど築後80周年になる。

自転車を押しての登りは、かなり辛かった。
荒々しい野面積(のずらづみ)の石垣は、戦国時代のまま。

美しい石垣と白壁。

青空を背景にして、「隅櫓」と「天守閣」の白壁が輝いて見えた。

本丸の真下から見上げた。

天守閣からの眺め。家々がかなり密集している。
町の真ん中に「吉田川」が流れている。

こちらは「吉田川」の右岸の古い町並みがあった一角。
左手前に「安養寺」の本堂の大きな屋根が見えた。
右奥には先ほど訪れた「長敬寺」などの寺も見てとれた。

また、この町は「郡上おどり」が有名だ。なんと、毎日開催場所を変えて32夜に渡って
盆踊りが開催されているという。
特に8月13日から16日の4日間は、徹夜で踊るらしい。
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